瀬古利彦
▼ 1956年7月15日 (マラソン) ▼
三重県生まれの陸上競技、マラソン選手。1970年代後半から1980年代にかけて宗
茂、宗猛、中山竹通らとともに日本長距離界をリードした。
四日市工業高校を卒業後、一浪ののち早稲田大学に進学。箱根駅伝では4年間「華
の2区」を走り3年次、4年次で区間新を記録した。早稲田大学競走部の中村清監督
の勧めもあり大学時代からフルマラソンに挑戦。大学3年の1978年に福岡国際マラ
ソンで初優勝を果たし、1979年、1980年と同マラソン3連覇を達成。1980年にはモ
スクワオリンピックの代表に選出されたがソ連のアフガニスタン侵攻による西側
諸国のボイコットで出場はならなかった。大学卒業後の1980年、中村監督ととも
にヱスビー食品に入社。1984年にロサンゼルスオリンピック(14位)、1988年に
はソウルオリンピック(9位)に出場した。
また、1981年3月22日には25,000m(1時間13分55秒8)と30,000m(1時間29分18秒8
)の世界記録も達成。この記録は2005年現在いまだ破られていない。
1988年に現役を引退し、ヱスビー食品陸上部の監督に就任した。2005年3月より日
本陸連役員もつとめる。また現在でも駅伝やマラソンでは解説を務めることもあ
るが、放送禁止用語を思わず口走ってしまったり、あまりの独走に「見てるほう
はあくびが出ちゃいましたけどね」と発言したり、お世辞にも上手とはいえない
(むしろゲストとしての発言ならまだいいが、という意見もある)。
2005年の東京国際女子マラソンで優勝した高橋尚子が事前に怪我をしていること
を公表したことについて苦言を呈した。