織田幹夫
▼ 1928年 アムステルダム五輪 「三段飛び」 ▼
日本語の「三段飛び」の名づけ親。
日本選手団の主将として出場するとともに、三段跳びで日本人初の金メダルを獲
得した。1931年には当時の三段跳びの世界記録(15メートル58)を樹立した。こ
の記録を記念して、国立霞ヶ丘陸上競技場のトラック内に高さ15メートル58のポ
ールが立っている。場所は1番ゲート正面付近でファンの間では「織田ポール」と
呼ばれている。また渋谷区にある代々木公園陸上競技場(市民大会規模の競技会
で使用される)も「織田フィールド」と命名されている。
選手生活を引退後は、朝日新聞運動部や母校である早稲田大学の教授、国際陸上
連盟の技術委員を務めた。1988年に文化功労者に選出され、広島県の名誉県民に
選ばれている。また、その功績を称える形で1967年から「織田幹雄記念賞陸上競
技大会」が毎年広島で開催されている。